気味よきことは必ず後の悔やむことあるものなり。
わが気に入らぬことが、わがためになるものなり。
◇ 鍋島勝茂(なべしまかつしげ)は
佐賀藩初代藩主。
関ヶ原合戦の時は十九歳。
石田三成に誘われ、大いに勇んだ。
というのも、勝茂の父直茂は
当時、日本の名将と申すは、
小早川隆景 と 直茂
と言われた天下の名将だ。
ここで武功をあげれば、
父を見返すことができる。
それで勇んだ。
◇ 勝茂は石田方の西軍に一味。
東軍・徳川方の伏見城を襲い、
たちまち首級百を取った。
勢いに乗じ、
関ヶ原の前哨戦で大活躍した。
気分がよかった。
そこへ、国元の父から急便がきた。
今度のいくさは石田三成らの邪謀だ。
よく考えろ!
父は西軍石田三成の敗北を予測していた。
「今度は東軍徳川が勝つ」とみて、
直茂は徳川方に通じていた。
勝茂は有頂天から一変する。
苦悩した!
しかし、父の戦の読みは常に完璧だ。
気に入らない父の教えだが従うことにした。
石田三成らが関ヶ原に
集結せよといってきたが断り、
関ヶ原の本戦への参加を見合わせたのである。
これがよかった。
父の予想通り、石田方は敗北した。
勝茂は切腹寸前までいったが、
直茂が尾張の穀物を買い占めて家康に献上。
父のおかげで不問にふされた。
生涯、勝茂はこのことを忘れなかった。
◇ 晩年まで、家臣たちに
「これは、わが父の教えであるが」といって、
冒頭の言葉を口癖のように繰り返した。
もし勝茂が判断を誤っていたら、
終世受け継がれる「葉隠」の思想は
生まれなかったかもしれない。
自分に気に入らないもの
自分に無いもの
欠けたもの
が参考になることが多い。
人や物事を好き嫌いの感情で
切り捨てないほうがよい。
この言葉のおかげで、
佐賀藩鍋島家は幕末まで存続。
雄藩となって維新の一角を担うことになる。
ひとりの男の決断で世の中は大きく変わる。
今日一日の人生を大切に!
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