◇ 国家の祝日や記念日は
単なる休日ではない。
それぞれの日付には
意味があり、
特別な日だとされている。
国家の支配層は
そこを利用して、
市民たちに、
同じ国民としての歴史を
繰り返し、繰り返し思い起こさせる。
◇ その日がなぜ
記念すべき日であるのか、
毎年その日が来るたびに、
それぞれの祝日は、
それぞれのストーリーを語り継ぐ。
どの祝日も、
国民の歴史の一部を
想起させる役割を果たしている。
◇ 1959年のチベット動乱、
1989年の天安門事件が
起きた日などは、
中国政府によって
公式上無視されてきた。
どの記念日を祝うのかを
決める際、
中国政府は中国の歴史の
特定の部分に無視を決め込む。
政府として忘れ去りたい
出来事については、
人々がただ
諮論するのさえ禁止する。
何を記憶し、
何を忘れるべきか、
その取捨選択は、
歴史教育にとっては
単に機械的な仕分け作業ではない。
「歴史的記憶」というものは、
単なる歴史の解釈ではないからだ。
◇ 政府が歴史をどう規定するかは、
極めて政治的な問題であって、
政府の支配の正当性とも
密接に関わり、
まさに中国の
国民的アイデンテイティを
形作るものであるのだ。
社会学者の
アントニー・D・スミスが
主張したように、
「記悟なくしてアイデンテイティなし。
アイデンテイティなくして国民なし」 だ。
過去に関する
こうした集団的記憶こそ、
一群の人々をひとつに
結びつけるものである。
はたして、
われわれ日本人には
アイデェンティティがあるのか、
そんな疑問さえ湧いてくる。
つづく
<今日の名言>
他の人々が書いたものを読んで、
自分自身を高めること。
そうすれば、他の人々が苦労して
到達した場所に、簡単に到達できる。
ソクラテス
*その分野ですでに成功している
人たちが書いた書籍を読んだり、
モデリングすることで学び、
時間を買うことが可能となります。
今日一日の人生を大切に!