◇ 会津と佐賀とは
違うタイプの教育も、
あの時代に存在していた。
薩摩溜の人材育成だ。
薩摩藩の制度は、
高禄の家臣はあえて政治にかかわらず、
経済のことは、
小禄の才知ある者から適任者を選び、
任せている。
このシステムが非常におもしろい。
◇ 薩摩藩には兵農分離がない。
武士と農民が混ざって住んでいた。
また、薩摩藩は普通の藩と違って
「禄券売買」が認められていた。
俸禄知行の売買が可能なのだ。
例えば、金が必要なときに、
10 0石のうち30石を
同じ薩摩藩士に売ることができた。
殿様の手を経ずに
禄が増減するシステムである。
◇ また鹿児島県の女性は
明治20年近くなっても、
95%字が読めなかった。
識字率は女性が5%、
男性で30%程度であった。
これほどまでに
識字率が低い薩摩藩から、
日本を動かすような逸材が
多数でてきたのか、
トンビには非常に典味深い。
◇ 薩摩藩の藩風は会津と
大きく違う。
身分や礼儀にうるさくない。
会津藩は足軽に土下座をさせる。
ところが薩摩藩だけは、
殿様にも土下座をする習慣がない。
出会っても高い履き物を脱がずに、
そのまま礼をする。
薩摩には格式ばったところがなく、
アバウトな戦国風が残っていた。
つづく
<今日の名言>
ひとの愚痴はおききなさい。
神様が誰かにそれを言わせいるのだから
手塚治虫
*あの人の愚痴は、神様の言葉なのです。
今日一日の人生を大切に!