◇ 佐賀藩の「学問地獄」は激しい。
「明や清の登科及第法より厳酷」
とまで大隈は言っている。
彼のつくった早稲田の校風が
自由なのは、そのせいなのである。
会津や佐賀藩士は、
視野の狭い学びに
駆り立てられていた面が強い。
◇ 佐賀の「葉隠」では
釈迦も孔子も楠木正成も
武田信玄もいらない。
「我が鍋島家に
奉公したことのない人は、
家風にあわない」
「ただ御家(鍋島家)のために
命を捨てればよい」
と説いている。
◇ この一事をもって、
大隈は後年あきれたように
述懐している。
「会津や佐賀は、
とにかく、主家だけが絶対で、
ひたすら、それに忠を尽くすことを
至上価値とする教育を徹底していた」 と。
◇ このような忠君教育は、
明治中期から日本の臣民全体に
ほどこされることになる。
結果、明治日本は
奇跡の勃典をとげたが、
視野の広い判断とは決していえない
あの昭和の戦争へとつながり、
ついには破綻した。
しかし、破綻したものの、
官僚制度は残り、
現代に綿々と
つながっているのである。
◇ 国家や組織が
人材育成をなす場合、
誤らないためには、
何のため、
誰の幸福のための教育か、
その教育の価値親は
広いものか など、
根本理念が常に問われる必要がある。
そのことは歴史が示している。
つづく
<今日の名言>
いつかいつかと思うなら今
株式会社武蔵野小山昇社長
*行動あるのみ!
今日一日の人生を大切に!