◇ 会津藩の厳しさは、
人間評価の価値基準と
行動内容を決めただけでなく、
これによって
「選挙」と「子吟味」
をやったところにある。
藩の定めた道徳価値で、
子供を徹底的に吟味した。
また現在の選挙は投票して
議員を選ぶことであるが、
当時は「役人の登用、採用」
を意味した。
この採用を行うのに
「子供を文武と
道徳で吟味せよ」
と田中玄宰は命じた。
◇ 会津藩では、
学校で人間を選別し、
学校を官僚を吸い取る装置にした。
しなかった藩もある。
岡山藩などでは、
人間を選別する教育を最後までせず、
藩校は幕末まで自由登校で、
通学は勝手次第であった。
しかし、
会津藩はそうではなかった。
一定以上の身分の藩士には、
義務教育として
藩校日新館への通学を強制した。
そのうえ、
階級章のようなものをこしらえて、
外見で身分をはっきり表示した。
◇ 会津藩は今の警察官や
自衛官のように、
服装で階級がわかる珍しい藩で、
身分に応じた敬礼の仕方が
決まっており、
いったん立ち止まって
お辞儀をするのか、
躇眠(そんきょ)するのか、
土下座までするのか、
相手の身分をみて、
すぐに対応を決めていた。
一度でもしないと、
目付が飛んできて、
足軽などは処罰されることも
あったほどだ。
◇ 日新館は士分の者だけが
入学を許され、
徹底した秀才教育を行った。
そしてその効果はあった。
◇「昌平坂学問所」は
江戸時代の最高学府で、
そのなかに書生寮というのがある。
諸藩から人を集め、
最優秀者を舎長にしたが、
この舎長を同じ藩から4人出したのは、
会津藩だけであった。
◇ 会津藩の教育政策は
成功したといっていい。
会津藩はこの学校で
子供の段階から吟味して
人材をすくい上げた。
優秀な子供たちを鍛え、
幕末になると
公用方という組織をつくり、
京都で政局を動かした。
天下に鳴り響いた秀オが
国事にあたるため、
他藩もこの藩に一目おいていた。
つづく
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