落ちて天下の秋を知る  vol.1064


◇  桐一葉・

       落ちて天下の秋を知る



  という言葉がある。



 この言葉の生みの親は、


 最後の相場師とも言われた


 立花証券の元会長、



故・石井久氏 である。

 
昭和28年のスターリン死亡を

きっかけに起きた株の大暴落、


いわゆる「スターリン暴落」を予想し、

的中させた人物として知られている。



◇ 当時のことを、石井氏自身が、

  こう振り返っている。


 —————–


昭和二十七年になると、

私は株式新聞の仕事に
 
専念するようになった。



私を評価してチャンスを与えて下さった

小玉社長への恩返しのつもりだった。



条件は

 「編集を任せてもらう」

 「退却ラッパを吹いたら辞める」

 この二つ。



採用後、株式新聞に書きながら

地方の証券会社が主催する講演会に

呼ばれて全国を回った。



交通事情の悪かった当時のこと、

泊まり掛けの出張が多かったから、



一年で三百日は

家を留守にする強行軍だった。


講演の最後には必ず



「新聞を取って下さい。

 年間千数百円で皆さんの財産が

 保全されれば保険料としては安いはず。
 
 退却ラッパを吹くので

 しっかりもうけて下さい」


 と締めくくった。



◇ いよいよ公約を果たす

    時が来た。



  ダウ三百六十円を超えて

  急騰した相場は、過熱して、



 二十八年二月には

 次の目標と言ってきた

 四百六十八円を達成した。


 買いたい投資家が皆買ってしまい、

 朝鮮戦争の和平接近の動きを見て

 私は総退却を決意した。

◇ 2月11日付

   株式新聞のトップに、


 「桐一葉・

     落ちて天下の秋を知る!」


 の見出しで退却ラッパの

 記事を書いた。

 
これをきっかけに相場は

奈落の底に沈んで行った。


3月5日のソ連首相スターリンの死、

3月28日の休戦会談再開提案が

暴落に追い打ちをかけ、


4月1日にはダウ295円18銭まで

突っ込んだ。


わずか二カ月で高値からの

値下がり率37.8%は、


今日なおスターリン暴落として

記録に残っている。



この記事は一週間、

載せる載せないでもめた

いわくつきの記事だった。


編集の記者連中も皆、

掲載に反対だった。


「間違えたら新聞の名声が吹き飛ぶ」


「もっとはっきりしてからでも

       いいではないか」


 と言うのがその理由だった。


 私は

 「読者に約束した義務がある」

 と小玉社長にかけあって了解を取った。


 スターリンの死は余計だったが、

 私は読者への約束を果たすことができて

 ホッとした。


  (立花証券のサイトから引用)


 —————–



◇ この

 「桐一葉・

    落ちて天下の秋を知る」



 の記事は、スターリン暴落を

 言い当てたとして、


 証券界の語り草となっている。



◇ 世の中は陰と陽の繰り返し。


 それがわかっているにもかかわらず、

 往々にして、

 

   人は世の中の変動に

 足をとられてしまう。


 なぜだろうか。



思うに、

人の寿命は数十年とか

せいぜい100年であるのに対し、


陰陽が逆転するサイクルは、

それ以上のスパンで

繰り返されることもある。


だから、

大局観を持って、

大きなパターンを認識するのは難しい。


それゆえ人類は、

何回同じことを繰り返しても、


またぞろ同じ轍(わだち)に車輪を

取られることになってしまう。


この度のロシアの暴挙も

然りである。



◇ 人が経験から学ぶには、

    人生の上で何度も、


 その失敗の教訓が

 反映される必要がある。


 そのうちに



 「こうしてはいけない」



 「こんなときは、

  こう行動すればいい」


 という、


 パターン認識 と 教訓の形成

 がなされていく。



◇ しかしながら、

  バブル期を経ての崩壊などは、



 数十年に一度くらいの間隔でしか

 起きないため、


人生のうちに多くても

2~3度しか経験できない。


そうなると、

自分の経験から学ぶだけであれば、



時間が足りず、

学習しきれない。


そうなると

失敗の教訓が反映されない。



◇ では、どうしたらいいのか。


 同じ失敗をしないためには

 歴史から学ぶ以外にない。


 自分の見ている時間軸よりも

 長い時間軸での学びによって、



 より大きなパターンを

 認識できるようになる のである。




◇ 資産運用の王道も、

 まさにこれではないだろうか。


 ここ数年、ないし10年程度の

 局地的な視点で見ていたのでは、

 
ルールが変わって

大きく足をすくわれる、


ということは枚挙にいとまない。


そのたびに今まで

阿鼻叫喚の地獄絵図が

繰り広げられてきた。


◇ そうならぬように

 「学ぶべきことを学ぶ」

 ことが大切なのではないだろうか。

 

そして

「学ぶべきは

 術ではなく道」



  ということ。


今のような先の読めない、

不確実な時代においては

なおのことである。



今日一日の人生を大切に!

トンビ博士

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