◇ 田中角栄の秘書をしていた
早坂茂三氏の著作
<捨てる神に拾う神─
「もっと無器用に生きてみないか」>
に出てくる言葉がある。
若い者はしくじる。
右も左も分からないのだから、
失敗は当たり前。
老人の跋扈は国を滅ぼす。
しかし、
青年の失敗は国を滅ぼさない。
私はそう思う。
だから、若い者は
やりたいことをやったらいい。
ウジウジして、
周りに気兼ねする必要はない。
そして、どつかれ、
こづかれ、けつまずき、
ひっくり返り、糞小便を浴び、
人に裏切られ、だまされ、
カスをつかみ、『われ誤れり』と
歯ぎしりをする。
それを繰り返しやって、
たくましい、
しなやかな知恵を身に付けることができる。
この修羅の巷で生きていけるようになる。
出来上がりのワンセット、
ワンパッケージの知恵など、
この世には存在しない。
◇ この文章にトンビは
感動すら覚える。
トンビも自ら苦難を求めて、
自身を鍛え抜き、
修羅の巷を戦って、
生き残れる知恵と力を
持つ人間になってやる、と
もう人生の終盤を迎えても、
そのような闘志が湧き立ってくる。
このような珠玉の言葉に触れるたび、
不安が取り除かれ、
その分、希望や可能性が充填される、
そんな感覚をも味わった。
◇ その本の中には
次のような言葉もでてくる。
意地を張っていると
言われるかもしれないが、
意地というのは、
人間が生きていくうえでの背骨だ。
背骨があるから頭が支えられている。
背骨があるから、
血液のもとになる骨髄液が、
日夜不断に再生産されていく。
意地というものを人間から取れば、
それは背骨なし、
つまり、クラゲになってしまう。
(中略)
しかし、今、身のこなしが軽やかで、
何もかも分かっているような顔をして、
人の顔色を見ては達者に
スイスイ動き回っている
若い人たちがたくさんいる。
そういう背骨のないクラゲが群れている。
その種の若者を私は好まない。
◇ こんな文章に触れると、
意地を持って、小利口さを捨てて、
泥をかぶり、恥をかいても、
懸命に、
骨太に生きなけれなならないと、
改めて確信した次第だ。
今日一日の人生を大切に!