◇ 江戸中期の俳人、
滝瓢水(たきひょうすい)の句に、
濱までは海女(あま)も
蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな
という名句がある。
瓢水は播磨の人。
千石船を何隻も持つ
豪商の家に生まれたが、
その天才のため家業を
維持することができず
に破産させてしまう。
蔵売って日当りのよき牡丹かな
と達観することができた人でもある。
◇ 物や金に目がくらんでいて、
よく見えなかったものが、
破産によって、
邪魔するものがなくなり、
それまで見えなかった美しいものが
目に入るようになったという発見だ。
◇ しかし、
「濱までは海女の蓑着る時雨かな」は、
もっと深いものを
たとえているように思われる。
海女は浜へ着けば、海に入る身、
濡れることは当然わかっている。
時雨が降ってきても、
「どうせ、すぐ濡れるのだから
雨に濡れていこう」
などというつつしみのない
考えはしない。
やがて濡れる身であることは
わかっているが、
それまでは濡れないように
蓑を着てわが身をいとう、
大切にするというのである。
「どうせ」という弱い心を抑えて、
わが身をかばい、美しく生きるたしなみ、
それが人間の尊さであるのを暗示している。
◇ この「濱」を「死」に読みかえると
この一句の意味はいっそう深くなる。
「人間はどうせ死ぬ身である」が、
この「どうせ」という考えを捨てて、
わが身を大切にして生きる心が
なくてはならない。
瓢水自身、
第一の人生は失敗だったが、
第二の人生で不滅の仕事を
したと言ってよい。
現代に生きる人間にとっても
多くのことを考えさせられる。
瓢水同様、
死ぬまで気を抜かないようにしなければ。
今日一日の人生を大切に!