◇ 捕手としても、
バッターとしても活躍し、
数々の記録を打ち立てた野村克也氏。
家計に限らず子供の教育も近所付き合いも、
すべて妻任せだったという。
その彼が先月11日に虚血性心不全のため
84歳で死去した。
現役時代には南海などで活躍し、
戦後初の3冠王となり、
ヤクルトや阪神、楽天の監督としては
3度の日本一に輝く名将として知られた。
◇「「自分はここまで」と自己限定せず、
やりたいことや目標を持ち続けることが、
生きる意欲や成長につながる」
と野村氏はいう。
あとは、健康のために我慢しないこと。
健康に悪いからと好きなものを
我慢してストレスをためるより、
好きなものを食べて元気でいた方が
いいというのが野村氏の持論のようだ。
サッチーさんがいた頃は、
「現金を持たせると女に使うから」
とお金を持たせてもらえず、
普段の支払いは全てクレジットカード。
銀行からお金を引き出す方法も
知らなかったようだ。
◇ テスト生として南海ホークスに
入団できたが、契約金はゼロ。
月の給料は7000円で、
寮費3000円を支払って残った4000円から、
毎月1000円を実家に送り続けた。
◇ 野村氏に言わせると、
「優勝チームに名捕手あり」
というぐらいキャッチャーが重要だという。
野球は頭のスポーツ。
キャッチャーは守りにおける監督の分身。
誰よりも敵を知り、己を知って、
細部にも目を配ってプレーしなきゃならない。
ありとあらゆるデータを頭に入れて、
それをしっかりできている捕手は
残念ながら今は見当たらないという。
◇ 彼の信条は、
「理をもって動かす」
恐怖で動かそうとするのは大嫌い。
理論がないから、恐怖や暴力で
選手を動かそうとする監督が出てくる。
理で動かすには、
確固たる信念や理論を持つことだけでなく、
それを伝える言葉を持っていることも重要。
現役を終えてから読書量をかなり増やして、
言葉力を鍛えたことが、
自分の野球理論をしっかりと
選手に伝えるのに役立ったと彼は言う。
◇ 監督としての実績も評価されており、
楽天時代の教え子、
ヤンキースの田中将大投手は、
「ピッチングとは何か、
野球とは何かをゼロから教えて頂いた。
プロとして一年目で出会い、
指導を受けたことは、
僕の野球人生で最も幸運なことだった」
と感謝の気持ちを表した。
野球の本場・米国のメディアも
野村氏の偉大なキャリアに最敬礼していた。
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