◇ 江戸の寛政年間には
「寛政の三奇人」
と呼ばれる人がいた。
林子平(経世家)
高山彦九郎(尊皇思想家)
蒲生君平(儒学者) の3人だ。
◇ たとえば高山は、
将軍の世にあえて熱心に
尊王思想を説いた。
明らかに「変わりもの」である。
では、それに対して幕府から
おとがめがあったかといえば、
そんなことはない。
単に「あいつは変わっている」
「あいつは別」ということで済んだ。
「奇人」というカテゴリーに
スッポリ入れてしまった。
こうゆう寛容性というか、
自由な風潮が、
江戸時代には確かにあった。
◇ 変わった人は人なりに、
奇人は奇人なりに、
世間でポジションを
得ることができた。
しかしこういうシステムは
あくまでも鎖国が前提であった。
外国人が入ってくると維持できない。
外国から多少珍しいモノが
入ってくるぐらいであれば、
問題はなかった。
◇ しかし、人が入ってくると
厄介になる。
それまでの日本の常識を
変えなくてはいけない。
変えないという選択筋も
あったのかもしれないが、
少なくとも日本は
そういう道を選ばなかった。
そして開国によって、
社会制度や法律は変えたが、
生身の人間は、
その変化にはついていけなかった。
当然、トラブルが起きる。
それで起きたのが
「攘夷運動」だった。
◇ それまではうまくいっていたことが、
うまくいかなくなった。
ならば、
「要するに外人を入れなければ、
うまくいくだろう」
そういう考え方に進んでいった。
結局、現代社会も同じようなもので、
移民反対論にまでつながっている。
近代以降、
日本の社会はずっと同じ問題を
解決できないままになっているのである。
すなわち
「新しい他人や外語人と
どうつきあうか」
少なくとも
「奇人」「変わり者」の
扱いにおいては、
江戸時代のほうが上手であった。
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