◇ その後、
「伝説の九州の男
森田を呼ぶ会」
を結成し、
カンパを集め、
3年後にタモリを
上京させることにした。
そして上京したタモリを
「この男を博多に帰してはいけない」と
家に住まわせ、
自ら世に売り出す手伝いをしたのが、
漫画家の赤塚不二夫氏であった。
◇ キャバレーの噴水から
裸でイグアナのマネをしながら
登場したり、
飲み屋でふたりが
本気で取っ組み合いの
ケンカを始めたと思ったら、
実はそれこそが巧妙に仕組まれた
ギャグだったり。
「バカなことを、
本気でやらなければならないとダメだ」
これが赤塚不二夫の教えであった。
◇ 赤塚不二夫が亡くなったとき、
タモリは8分にもわたる弔辞を
読み上げた。
しかし、実はその弔辞のメモは
「白紙」であった。
そしてその弔辞、
タモリは最後にこう締めた。
「私もあなたの数多くの
作品のひとつです」
次回は、タモリの弔辞を取り上げる。
つづく
<今日の名言>
多くの選手が毎年年頭に際して、
同じ抱負を述べる。
同じ努力を誓って、
がんばりますと言う。
しかし、
それは素質の世界のことだ。
素質いっぱいのところで
技術的限界がくる。
そしてそれを超えられない。
こういう選手は二流にとどまるしかない。
その一段上に才能がある。
才能とは、
頭脳の中に埋め込まれた情報のことだ。
その情報を駆使することで
一段上のレベルにいける。
そのことに気づくかどうか、
それが一流と二流を分ける分岐点となる。
野村 克也
今日一日の人生を大切に!