◇ 歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は
話題の書「ホモ・デウス」で、
テクノロジーの発展による
ディストピア(反理想郷)のビジョンを
描いて警鐘を鳴らしている。
◇ 人類のごく一部の富裕層が
人工知能(AI)と
バイオテクノロジーの力で、
超人類(ホモ・デウス)に
アップグレードされ、
現生人類のまま取り残された
大多数の人々を支配し、
最終的には,
超人類が現生人類を
淘汰するかもしれないという。
◇ ホモ・サピエンスが
マンモスなどの大型哺乳類を
絶滅させ、
ネアンデルタール人を
自然淘汰したのと同じように、
我々も進化の波から脱落して
消え去るのではないか、
という警鐘を鳴らしている。
自由主義の経済社会についての
ディストピアの物語は、
強者と弱者の格差が一方的に広がり、
強者が弱者を淘汰するという
「淘汰の原理」に関連する。
◇ H・G・ウェルズのSF小説
「タイム・マシン」が描く
80万年後の世界では、
資本家階級と労働者階級の格差が
著しく広がった結果、
人類は2種類の異なる生物に
進化するという、
まさに自然淘汰の力を描いている。
この基本構造は「ホモ・デウス」
に受け継がれている。
◇ このようなディストピアの
言説に対する批判は、
格差の拡大はいずれ
反転縮小するという
「方向付けられた技術進歩」
の理論である。
米マサチューセッツ工科大学(MIT)の
ダロン・アセモグル教授が
主張するように、
産業技術の変化は、
希少な生産要素を節約し、
豊富な生産要素を多用する方向に進む。
◇ 例えば19世紀、労働力が豊富で
土地が希少だった英国では
労働集約的な技術進歩が起き、
その逆の米国では
資本集約的な技術進歩が起きた。
AIの進歩などによって、
様々な業種で人間の労働が
無用になると予想され、
職の消失が心配されている。
しかしハラリ氏の言う
「無用者階級」
すなわち低賃金の
未熟練労働者が増えれば、
その人たちを生産要素として
活用しようとする方向に、
新たな技術進歩が起きる。
これが方向付けられた
技術進歩の理論の予想である。
すると人間の労働への需要が高まり、
賃金が上昇し、格差が縮小していく。
19世紀に極端な格差拡大が
起きたあと、
20世紀前半に、
大量生産方式などの
新しい技術進歩によって
中間層が大量に生まれ、
格差は縮小して
大衆社会が到来した。
同様なことがこれから起きないと
誰が言えようか。
◇ 強者による弱者の淘汰という
ディストピアの世界観に対する
もう一つの反論は、
「可謬(かびゅう)性」
すなわち、間違える可能性があること、
に関連する。
AIの進歩は必然的に
「すべての存在者は可謬的である」
という認識に立った政治哲学を
もたらすのではないか。
◇ 近年、驚異的な発展を見せている
AIのディープラーニング(深層学習)は、
原理的には単純な最小二乗にすぎない。
*最小二乗:誤差を最小にする
近似計算の一手法
つまり、これまで深淵な神秘と
思われていた知能の働きは、
単純な近似計算の寄せ集めに
すぎないという発見が
AIの衝撃の本質である。
◇ 近似計算なのだから、AIの知は
無謬(むびゅう=間違いがない)の
真理ではないし、
人間の知も同様である。
人やAIが作るあらゆる知は
全て現実の近似であり、
将来いずれ「間違いであった」と
証明される可能性がある、
という意味で可謬的なのである。
これはAIができる前から
科学的知識について
広く合意されていたことでもある。
◇ 自己の無謬性の前提に立って
他者を淘汰するのが、
これまでの人間社会や
生物進化の自然淘汰のメカニズムであり、
それは多くの社会が
進化の袋小路に陥って
絶滅することを容認する、
いわば非効率な進化であった。
つづく
今日一日の人生を大切に!