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2021年米中は国交断絶へ突き進む ⑤   vol.703

中国の科学技術の発展に関しては、

  中国の分析者のである遠藤誉氏の

    『中国製造2025の衝撃』

 が大変に参考になる。

 

 

この本を読むと、

中国政府が掲げる国家的な

科学技術発展計画、

「中国製造2025」の基盤が見えてくる。

 

そのひとつは、

文化大革命後の人材流出と

 

1990年代終わりから始まる

その激しい帰国の流れである。

 

中華人民共和国が建国されたのは、

  1949である。

 

そして、建国間もない1953年から

1957年にかけて実行されたのが、

「第一次5カ年計画」であった。

 

この期間、ソ連の援助もあって、

戦乱で荒廃した国土の復興が進み、

経済は大きく成長した。

 

そして、社会主義経済への移行も始まった。

 

この結果におおいに満足した毛沢東は、

1958年からは、「大躍進政策」

と呼ばれる極端な政策を推し進めた。

 

社会主義化を一層推し進めると同時に、

中国を一気に工業化して、

 

15年でイギリスに追いつく

水準にするというものだった。

 

しかし、その結果は惨憺たるものだった。

 

農村では原始的な鉄の生産が強制されたため、

食料生産は大きく落ち込んだ。

 

その結果、4,500万人が餓死した。

 

「大躍進政策」1961年まで続いた。

 

◇ その後、

 この政策の間違いに気づいた共産党は、

 

 毛沢東に代わり

 劉少奇を国家主席に選んだ。

 

劉少奇は私有財産を認めて

経済の自由化を推進し、

経済は回復して成長した。

 

しかし、権力の喪失を恐れた毛沢東は、

青年層の感情に訴えて、

 

勢力の盛り返しを図ろうとし、

新たな革命を宣言した。

 

「文化大革命」である。

 

毛沢東の熱狂的な信者である

「紅衛兵」によって推し進められた

毛沢東の革命は、

 

毛沢東本人の予想を越えて進行し、

全国の大学は閉鎖され、

 

学生は地方の農村に

農業労働力として強制的に送られた。

 

これが 「下放」 である。

 

「文化大革命」は1977年まで

10年間続いたものの、

 

この間に中国経済は

大きく落ち込み、停滞した。

 

◇ そして1978年、

 鄧小平は権力を掌握し、

 

 現在に続く「改革開放政策」

 実施を宣言した。

 

その3年後の1981年から

海外留学制度が始まり、

その後、留学許可の枠は順次拡大した。

 

これに応じたのは、

 

農村に「下放」され、

「文化大革命」の10年間、

学習の機会を完全に奪われていた

大学生であった。

 

そうした学生による留学ラッシュが始まった。

 

そして、かなりの数の学生が、

ハーバード、MIT、スタンフォードといった

アメリカの名門校への入学を果たし、

博士号を取得するものも多く現れた。

 

そうした人々のうち、相当数が

当時は勃興期にあった

シリコンバレーの企業に就職し、

最先端テクノロジーの開発に携わった。

 

また、後に注目されるベンチャーを

立ち上げたものも多い。

         つづく

 

 

今日一日の人生を大切に!

トンビ博士

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