◇ 先進国では、
死亡率や出生率は安定しているので、
戦争などがない限り、
半世紀先までほぼ確実に
その動向を知ることが可能だ。
当然の事ながら、
現在起きているさまざまなことは、
1970年代に予想されていた。
だが、団塊の世代の雇用を
守ることが優先され、
改革は先送りされてきたのである。
政治の怠慢だと、
いまさらいっても仕方ない。
誰だって目の前の利益に飛びつく、
これが「人間の本性」なので
いたしかたない。
人間とは、そういった生き物なのだ。
◇ 団塊の世代は
政治家にとっては最大の票田だ。
したがって、「社会保障改革」は
ますます困難になった。
金融庁の報告書の大炎上を
見てもわかるように、
理想主義の官僚が
どんな「改革案」を出したとしても、
有権者の不安を煽るとして、
政治家によって
すべて握りつぶされてしまう。
自分の出世や家族の生活を考えれば、
失敗することがわかりきっていることを
やろうとする奇特な人間などいるはずがない。
◇ だったらどうするかというと、
若手官僚によれば、
「ひたすら対処療法を繰り返す」そうだ。
年金が破綻しそうになったら、
保険料を上げ、
医療・介護保険が膨張したら
給付を減らす。
それでもダメなら消費税率を上げる。
そうやって、
これからの20年間耐え続け、
2040年を過ぎれば、
高齢化率は徐々に下がっていく。
わざわざ「改革」という
危険なゲームはしない。
これが「霞が関の論理」なのだ。
◇ では、この論理どおりの
展開になった場合、
日本はどのような世の中になるのか?
この持久戦に耐え抜くことができれば、
その先は,
「下級国民」があふれる
貧乏くさい社会が待っており、
失敗すれば,
日本人の多くが難民化する
「国家破綻」の世界がやってくる。
これが、我々が生きることになる
令和の日本の姿である。
これは、確実に起こる未来であり、
これは誰も変えることのできない
未来なのである。
つづく
今日一日の人生を大切に!