◇ ホレス・ウェルズから
「麻酔発見」の功績を奪い、
特許まで取得したウィリアム・モートン。
麻酔の特許で大儲けを企んだが、
その思惑は完全に外れてしまう――。
なぜなら、麻酔は患者にエーテルを
吸わせるだけという極めて単純なもの。
エーテルは空気や水のように、
地球上に幾らでも存在する
「ただ同然」のものだった。
◇ そこでモートンは麻酔の詳細を明かさず、
「リーセオン」という謎めいた名前を
付けて売り出した。
オレンジ香料を混ぜることで、
中身がエーテルだけではなく、
他の薬剤も加えた独自に開発されたものだと
思わせようとしたのだ。
しかし、その正体はすぐに明らかになり、
リーセオンを購入せずに、
エーテルを使った麻酔を行う医者が
続出したのだ。
モートンに特許を与えた政府ですら、
公然と無視し始める。
法律上は特許権が成立していることから、
特許権侵害で裁判を起こすことも可能だった。
しかし、その対象が膨大であり、
政府すら無視している状況では勝ち目はない。
モートンの麻酔の特許は
有名無実化してしまったのだ。
これによってモートンは
経済的な苦境に追い込まれる。
◇ 借金が膨らみ続け、
生活が困窮したモートンは、
政府に十万ドルの報奨金を要求する。
特許権を踏みにじったことに対する
損害賠償請求のつもりだったのだろう。
しかし、議会での審議は二転三転し、
結論がなかなか出ないまま、
時間だけが経過していった。
◇ こうした中、
誰が麻酔の発見者であるかについても
激しい論争が展開された。
ウェルズが発見した亜酸化窒素を
使った麻酔を、エーテルに変えて
特許を取得したのがモートンだった。
このモートンに対し、
自分が発見者だと言い出したのが
チャールズ・ジャクソン、
モートンから亜酸化窒素に代わる
薬剤を尋ねられ、
エーテルを使うように提案した人物だ。
この論争に本当の発見者である
ウェルズも参戦する。
人の良いウェルズは、
特許料などの金銭面の要求はせずに、
発見者としての名誉のみを求めた。
◇ この三人に加えて、
「私は以前から知っていた!」という人が
次々に名乗りを上げ始めていた。
麻酔を巡る金と名誉の争いは泥沼化し、
二十年たっても収束する様子はみられなかった。
◇ 麻酔を巡る争いが延々と続けられる中、
経済的に追い詰められたモートンは、
精神的にも不安定となり、
言動がおかしくなり始める。
1868年7月15日の夜、
妻とともに宿泊していた
ホテルを出たモートンは、
突然馬車を降りると公園の池に飛び込んだ。
近くにいた警官らに助け上げられたものの、
病院に運ばれる馬車の中で息を引き取った。
麻酔の公開実技成功から22年、
48歳の生涯であった。
◇ 自分が麻酔の発明者だとして、
モートンらと争いを続けていた
ジャクソンの最期も悲しいものだった。
長引く争いの中で
アルコール依存症に陥り、
モートンの墓の前で叫び声を
上げるようになった。
意味不明の言葉を発し、
身の回りのことができなくなったジャクソンは、
精神病院で七年間の入院生活を送った後の
1880年に生涯を閉じた。
つづく
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