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『鍋島直茂』の教え vol.461

 

気味よきことは必ず後の悔やむことあるものなり。

わが気に入らぬことが、わがためになるものなり。

 

鍋島勝茂(なべしまかつしげ)は

     佐賀藩初代藩主。

 

    関ヶ原合戦の時は十九歳。

 

   石田三成に誘われ、大いに勇んだ。

 

というのも、勝茂の父直茂は

 

当時、日本の名将と申すは、

 小早川隆景 と 直茂

 

と言われた天下の名将だ。

 

ここで武功をあげれば、

父を見返すことができる。

 

それで勇んだ。

 

◇ 勝茂は石田方の西軍に一味。

 

東軍・徳川方の伏見城を襲い、

たちまち首級百を取った。

 

勢いに乗じ、

関ヶ原の前哨戦で大活躍した。

 

気分がよかった。

 

そこへ、国元の父から急便がきた。

 

今度のいくさは石田三成らの邪謀だ。

よく考えろ!

 

父は西軍石田三成の敗北を予測していた。

 

「今度は東軍徳川が勝つ」とみて、

直茂は徳川方に通じていた。

 

勝茂は有頂天から一変する。

 

苦悩した!

 

しかし、父の戦の読みは常に完璧だ。

 

気に入らない父の教えだが従うことにした。

 

石田三成らが関ヶ原に

集結せよといってきたが断り、

関ヶ原の本戦への参加を見合わせたのである。

 

これがよかった。

 

父の予想通り、石田方は敗北した。

 

勝茂は切腹寸前までいったが、

直茂が尾張の穀物を買い占めて家康に献上。

 

父のおかげで不問にふされた。

 

生涯、勝茂はこのことを忘れなかった。

 

◇ 晩年まで、家臣たちに

「これは、わが父の教えであるが」といって、

冒頭の言葉を口癖のように繰り返した。

 

もし勝茂が判断を誤っていたら、

 

終世受け継がれる「葉隠」の思想は

生まれなかったかもしれない。

 

自分に気に入らないもの

自分に無いもの

欠けたもの

 

が参考になることが多い。

 

人や物事を好き嫌いの感情で

切り捨てないほうがよい。

 

この言葉のおかげで、

佐賀藩鍋島家は幕末まで存続。

 

雄藩となって維新の一角を担うことになる。

 

ひとりの男の決断で世の中は大きく変わる。

 

 

今日一日の人生を大切に!

トンビ博士

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