◇ 1899年の大阪。
両替商の家庭に生まれた鳥井信治郎は
20歳の時、サントリーの前身である
鳥井商店を開業し、ぶどう酒の製造販売を始めた。
当時の日本では、お酒と言えば日本酒がメイン。
舶来もののウイスキーやワインを飲む習慣は、
まだ本格的に根付いていなかったと言われている。
しかも、本格的なウイスキーづくりは、
本場のスコットランド以外では
不可能というのが定説だった。
しかし逆に言えば、
日本のウイスキー市場は、
強力なライバル企業が存在しない
ブルーオーシャン でもあった。
これからは、
日本でも洋酒を飲む時代がくるだろう──。
洋酒に人生を賭けることを
決意した信治郎は1924年、大阪府の山崎に
巨大なウイスキー蒸溜所を建設する。
そして、信治郎が始めた
日本のウイスキーの歴史を、
創業家が4代にわたって受け継ぎ、
今日の洋酒文化を育んできた。
◇ 日本でのウイスキー製造は、
サントリーがオーナー企業だったからこそ
成功したと言われている。
その理由は、ウイスキーは “超”がつくほど
長期のビジネスだからだ。
ウイスキーは他の酒と違い、
短くても3年は熟成期間が必要だ。
その間は、どれだけ現金収入を得たくても、
倉庫で眠らせておかなければならない。
場合によっては、今製造したお酒が10年、
20年先に評価を得る可能性さえある。
だからこそ、ビジネスでの成功と
一族の繁栄を同一にし、
長期的な視点で経営判断が下せる
オーナー経営と相性が良かったのだ。
◇ またサントリーは、株式市場における
短期志向の波に飲まれることを避けるために、
創業から120年がたった今でも
プライベートカンパニーを貫いている。
売上高にして2兆円を超す巨大企業のうち、
非上場なのは日本ではサントリーだけだ。
決して短期的な思考に陥らず、
20年、30年先の会社の成長を描きながら、
経営戦略をグランドデザインしていく。
長期志向というオーナー経営の強みを、
常に維持し続けている。
◇ 一方で、サントリーの外に目を向ければ、
権力を持ちすぎた創業家が暴走し、
会社の経営を揺さぶるケースは、
もはや珍しい話ではなくなっている。
近年は大企業で、創業家をめぐる
トラブルが相次いでいることから、
あまりオーナー経営に対して
良いイメージを抱かないかもしれない。
いったん経営の歯車が狂いだすと、
創業家は、会社を存亡の淵に追い込む
元凶にもなりうるからだ。
父と娘の間で権力闘争が起こった
大塚家具では、ブランドイメージの
毀損が響き、直近2年は最終赤字に沈んでいる。
また2015年に昭和シェルとの合併を
発表した出光興産も、創業家の反発が大きく、
統合はスタックしたままだ。
そしてそれは、100年以上にわたって
オーナー経営を続けてきた
サントリーにとっても、無縁な話ではない。
創業家は、時に会社を強くすることもあれば、
破滅へと追い込む可能性もある
「猛獣」のような存在だ。
◇ なぜサントリーでは、オーナー経営が
うまく機能してきたのか。
「やってみなはれ」
という言葉を聞いたことがあるだろう。
サントリーのことはよく知らなくても、
チャレンジ精神を表すこの言葉を
知っている人は多いのではないだろうか。
実はこの言葉は、創業者の鳥井信治郎が
晩年に病床で語ったものだ。
サントリーではこの言葉を
創業精神として受け継ぎ、
これまで数々のユニークな挑戦を行い
長く続いた倒産の危機を乗り越えてきた。
◇ 無謀なビジネスに果敢に挑む
ベンチャースピリットを受け継いで
いくことができれば、
これかも発展していくことだろう。
もしあなたの自宅に
山崎、白州、響、等が眠っているのであれば、
飲まないで大事に保管しておいたほうがいい。
10年後、そのウイスキーは、
大きな資産に変身していることだろう。
完
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