◇ 本田技研工業の創業者である
本田宗一郎は、スピーチが面白いことで
定評があった。
従って、本田氏の話術は、
社員を鼓舞するのにも、おおいに発揮された。
◇ ホンダ創立からまもなく、
浜松から東京に進出した1950年頃に、
みかん箱の上に立って、
「日本一になるなどと思うな。
世界一になるんだ。」と絶叫した。
社員の給与も満足に出せていなかったが、
本田の目はすでに世界に向けられていた。
54年には、世界中のオートバイ関係者が
技術を競い合うマン島TTレースに出場し、
優勝することを目標に掲げた。
会社が経営不振に陥っていた時期にあって、
何とか社員を奮いたたせようという宣言だった。
61年に念願の優勝を達成、
ついにホンダの名は世界に轟いた。
◇ 日本発のエア・バックの開発者で、
ホンダ研究所の最前線を走り続けた
小林三郎氏は、本田宗一郎のことを
このように言っている。
オヤジは、我々にいろんな話をしてくれたが、
いつもカッと目を見開き、腕を振り、
肩を揺さぶっていた。
熱い思いがあふれ出んばかりだった。
我々は、その迫力に圧倒された。
◇ 遺言は、
社葬はするな!
社葬なんかすれば、交通渋滞の原因となり、
世間に迷惑がかかる。
そんなことはクルマ屋として、
絶対にやってはならない だった。
本田宗一郎氏の事業に対する熱い情熱が、
すべてを突き動かしていった。
<今日の名言>
社長なんて偉くも何ともない。
課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。
要するに命令系統を、
はっきりさせる記号にすぎない。
本田宗一郎
*役職は単なる記号にすぎません。
今日一日の人生を大切に!