◇ 橋の下をたくさんの水が流れた。
それも完成し、あれも完成した。
これも過ぎ、あれも過ぎた。
いまは、雲雀ヶ丘にあたたかな陽が射し、
微風が頬に新しいシーツのようにこころよい。
音もなく、声もなく、
ときたま松の梢にモズの叫びが落ちてくる。
日は日に流れ、曜日もなく、時計もない。
電話も鳴らず、訪れる人もいない。
老人は コタツに入って背を丸め、
うとうとしながら心をかぞえていた。
東の友は死に、西の友は亡く、
南の友は うごくことができず、
北の友は ただ息をしている。
激しい女がいた。
弱い女がいた。
甲女は老い、乙女は去った。
敗残もあった。
勝利もあった。
過ちもたくさん犯したが善もつくした。
薄明から歩みだして 暴風、暑熱、
寒霜の長い、長い、
長い曲がりくねった道を来、
いま ほの白い道は、
ふたたび薄明に向かっている。
歩むこともない あと少しの旅がある。
さいごの里程標(りていひょう)が
もうそこに見えている。
本も読まず、議論もせず、
ただ平静に息づきながら老人は
コタツに足を入れて寝そべり、
少し離れたベランダで
長男、次男、三男の孫たちが
入れかわり立ちかわりやってきては、
声をあげて遊びまわるのを
眺めているだけであった。
終日彼は そうしていてあきることがなかった。
幼女や幼童の毒のない きれいな肌に
陽がまるで沁みとおるようにあるのを
老人はまじまじ眼を見張って眺めていた。
よくまわらない舌で何か新しいことをや、
おどろくほど痛烈なことや、
ヒリヒリするほど鋭いことを
つぎつぎと いいちらかして
子どもがたわむれている声を聞いていると、
老人は ひそかに
これだったのだ
ついに
これだったのだ
と思うのであった。
開高健 「やってみなはれ」
◇ 老人の名は 、
鳥井信治郎 (サントリー創業者)
トンビも薄明を目の前にして
人生を悟ることができるような
そんな生き方をしてみたいと、
願ってやまない。
今日一日の人生を大切に!