◇ わずか35年に満たない生涯において、
俳句、短歌、写生文など、多岐にわたる
ジャンルで新時代の表現を追求した正岡子規。
今日(9/19)は、その正岡子規の命日
「糸瓜忌」 です。
病床について7年間、子規は病魔と
壮絶な闘いをしていました。
しかし彼の俳句からは、そのような暗さは
いっさい伺えません。
時に、病に苦しむ自らを客観的に見つめ、
ユーモアさえ交えて記すその精神の強さ、
文章の不思議な明るさは、トンビの胸を打ちます。
◇ 畳一枚の広さが彼の居場所でした。
そこから見える世界を感じるままに描いた
「病状六尺」(岩波文庫)は名著であるとともに、
彼の感性の豊かさを思い知らされます。
秋高し 鳶舞ひ沈む 城の上
*松山トンビも登場です。
辞世の句は
糸瓜(へちま)咲きて 痰(たん)のつまりし 仏かな
*この句を読んだ夜に危篤状態になりました。
◇ 秋山真之、夏目漱石、高浜虚子、そして子規
あの時代の青春は幸せだったのでしょうか?
東京と松山に彼らの足跡がたくさん残っています。
子規は野球にも関心を示し、
野球殿堂入りを果たしています。
上野公園を歩いていると、
「正岡子規記念球場」
という草野球の球場があります。
たぶんこの辺りで 、子規も野球を
していたのでしょう。
当時、子規は 上野公園の 近くに
下宿をしていました。
東大には行かず、寄席ばかりに
行っていたそうです。
春風や まりを投げたき 草の原
床に伏していても、春は感じることができます。
野球をもう一度やりたいという
思いが伝わってきます。
17文字の 中に情景と情感を
封じ込める俳句は、子規によって
その流れが大きく変わりました。
トンビもここで一句ひねります。
トンビの子 生まれ変われよ タカの子に
*今日一日の人生を大切に!