Categories: 歴史

長州藩の「御前会議」のあり方     vol.72

◇ 長州藩が、ふつうの藩とはちがって、

    徳川幕府に強い怨念をもっていたことを

    示す逸話があります。

 

    長州藩主・毛利家では、

    毎年、元旦に、殿様の前に家老が進み出て、

   「幕府追討はいかがでございますか」

      と問います。

 

   すると、殿様が

     「まだ早かろう」   と言って、

   今年は倒幕の密勅を起こさないことを

   家臣と確認し合うのです。

 

   この掛け合いが、元旦の毛利家の儀式に

   なって続いていたというものです。

 

   このような反体制つまり反徳川の空気、

   怨念の感情を、長州藩が藩政初期に

   持っていたことは非常に重要です。

 

   徳川幕府に対する負の感情は、

   やはり、長州藩の特徴といえます。

 

◇ 長州藩が他の藩と違う点は

    大きく二つあります。

 

    ひとつは 「御前会議」 です。

 

   それと もうひとつは、

  「西洋式の軍事技術の導入」

   を素早く行っている点です。

 

  その中でも、士官学校の導入が早い。

 

   はじめたら、あっという間に

   西洋並の軍隊をつくりあげています。

 

こうした点がやはり、ふつうの藩ではないのです。

 

◇ まず御前会議ですが、

    殿様はふつう、藩政の会議自体に出ない。

 

   歴史小説などでは、長州の最後の殿様、

   毛利敬親(たかちか)が「そうせい公」

   呼ばれ、「そうせい、そうせい」

   頷いていて、何もしなかったような

   印象を受けますが、そうではありません。

 

   ふつうの藩では、藩主はその会議の

   席にいないのが当たり前です。

 

   長州藩主は会議の席に出ていたから

 「そうせい公」と呼ばれていたのであって、

  これに誰も気づいていません。

 

   殿様の御前に、家老以下の役人が並んで

   会議をするのは、当たり前ではないか、

   と思われるかもしれません。

 

   しかしこれは幕末の風景としては、

   きわめて特異なことでした。

 

   水戸藩や長州藩など「異常な藩」のみ、

   御前会議というものが、

   しばしば開かれていました。

 

   実は、ほとんどの藩では、藩主が直接、

   家老の前に出てきて、意志決定の会議の、

   いわば議長席に座っているということは

   なかったのです。

 

   今日、閣議をやるのは、総理と大臣だけで、

   天皇陛下が閣議に臨席しないのと同じです。

 

   よほど大切な事柄、藩の運命を

   きめてしまうようなことがなければ、

   藩主の臨席した「御前会議」

  といういものは、開かれないのもでした。

 

 ところが、長州藩の場合

 藩主がその場にいてさっさと決めるのです。

 

◇ 最初に月番の家老が

「みなさん、今日は攘夷の決行について

   どのようにするか、評議してください」

   などと言うのです。

 

   その後、下座、末席の者たちが

   はげしく論議して、彼らがいよいよ

   疲労してくると、月番の家老が

「だいたいみなさまの意見も出ましたかな」

   などといって、意見をまとめはじめます。

 

   家老たちが下の者たちの空気を読んで、

   どちらが多数派であるかなどと考えながら、

   忖度するのです。

 

  それで最後に、

「では、みなさん、多数のご意見は

   こちらのようですから、この場の結論と

   して攘夷は決行することにいたします。」

   などと言います。

 

   そして、次ぎの瞬間が大変重要です。

 

そこで、藩主毛利敬親公の声が飛ぶわけです。

 

             「そうせい〜!」     と。

 

   藩主の鶴の一声が出た瞬間、一同は、

   反対派も賛成派も一斉に平伏して、

   決定に服します。

 

◇  他の藩では、こうはいきません。

    下の者たちが何時間も議論して、

    決まっても、あれは家老が決めたことだから、

   といって実行されにっくかったりします。

 

 しかし、長州藩は他の藩とは違います。

 

   藩の意志決定がしっかり決まります。

 

 藩主の御前に下級武士たちの

 もっとも優秀な者たちを抜き出してきて、

 彼らが実質的に決めて、最後に「そうせい」

 ということで藩主のどでかい印鑑が打たれ、

 誰もが言うことを聞くという意志決定が

 なされていました。

 

 これは長州藩の特徴です。

 

 御前会議で決定して、

 藩主が「そうせい」と言うと、

 それをやらざるを得ない。

 

 長州藩が、西洋式軍隊を早急に創設

 できたのは、意志決定機構がしっかり

 できていたためではないか、

 といわれています。

 

*今日一日の人生を大切に!

スポンサードリンク
トンビ博士

Recent Posts

中国人の歴史認識⑫  vol.1121

◇ 抗日戦争中、  …

12か月 ago

中国人の歴史認識 ⑪ vol.1120

◇ 今日、中国の人々は、 &n…

1年 ago

中国人の歴史認識⑩ vol.1119

◇ 現代の日本人にとって、 &…

1年 ago

中国人の歴史認識⑨  vol.1118

◇ 中国の歴史的記憶の中で、 …

1年 ago

中国人の歴史認識⑧  vol.1117

◇ 1931年9月18日 &n…

1年 ago

中国人の歴史認識⑦ vol.1116

◇ 中国で歴史が語られる場合、…

1年 ago