◇日本人は、自国の宝物を
見分ける力が少なすぎると
外国から指摘されることがよくあります。
ある意味日本という国は、
文化度は低いのかもしれません。
◇江戸時代中期の浮世絵師「写楽」を
世界で初めて評価したのは、
ドイツ人のユリウス・クルトという人で、
1919年に「SHARAKU」という本を
書いて絶賛しました。
◇それによって日本人が「写楽」の
浮世絵の価値に気づいたときには、
すでに万事休す、遅かったのです。
明治時代に日本に来た海外の
外交官や商人が「写楽」を買い集め、
自国に持ち帰えってしまいました。
◇そういえば、若い頃に
英国の大英博物館に行ったとき、
「写楽」の絵が多数飾ってあったのを見て
「何でこんなところに本物が?」
と不思議に思ったわけです。
明治時代には、「写楽」の価値を
日本人は、まだ見抜けなかったわけです。
◇自国の宝物を見分けられない
ということを象徴する話が
ほかにもあります。
興福寺の「五重塔」は国宝です。
ところが明治の廃仏運動のときに、
「壊す」という話が出ました。
そこで、業者を呼んで
見積もってもらったところ、
15円という値段だったそうです。
現在の金額で数十万円というような値段です。
何故 そのような値段になったかというと、
見積った業者は、薪屋だったからです。
五重塔を壊して薪にすれば、
その程度の値段になるという
ことだったわけです。
幸いにして壊されずに
国宝として現在も残っているのですが、
140年前には、「五重塔」は
「薪」にしか日本人には見えなかったのです。
モノは、見方によっては
「薪」にもなるし「国宝」にもなります。
◇モノごとの要点をはっきり見分ける
力を「心眼」といいます。
また本物と贋物のことを
「真贋」ともいいます。
「今まで何をみてきたのか」
「それが本物かどうかを見分ける
ものさしを自身が備えているか」
「形而上学的なものの見方」
「歴史感はあるのか」
「思想、宗教、哲学、芸術等の知識」
そういったことに通じないと、
なかなか モノは見えてきません。
◇「無用の用」という言葉をよく耳にします。
一見、役に立たないと思われるものが、
大変重要な役割を果たしている意味です。
◇つまり「心眼」を養うためには、
一見、そのモノとは関係のないような
「思想・歴史・宗教・哲学・芸術」といった
幅広い 知識が必要です。
そういったことに精通しないと
モノの価値は見えてこないということです。
「心眼」を養い、「真贋」を
見極めることができるように
トンビもこれからさらに精進いたします。
*今日一日の人生を大切に!